戦争と共感力

ヒューマンエイジ 人間の時代 第2集 戦争 なぜ殺し合うのか - NHKスペシャル - NHK

 

人の共感力(オキシトシン)が自分たちとそれ以外の人の間に線を引く。そして仲間を守るために、それ以外の人に対する敵対心をもつにいたるため戦争が起こるという。
はじめに仲間以外に対する敵対心を持つのでなく、仲間を守るための結果として、敵対心を持たざるを得なくなるということ。

農耕以前、それ以外の人と出会わない限りにおいては、仲間しかいないわけで戦争は起こらなかった。そのときは、恐らく他人というより自然が外であり恐怖であり崇拝の対象、味方であり敵だったのだろう。 

要するに他人と出会ってしまったときに問題が起きるわけで、問題が起きるのは自然といえる。ヘーゲルのいう「承認をめぐる戦い」が起こるのだろう。 

これは戦争に限らず、さまざまなことにおいて、内(自)と外(他)に分けることで起こる問題。家族と家族以外、日本と日本以外、会社の派閥抗争とか。仲間意識は他を設定することでしか持てないだろうか。それではあまりに悲しい。

政治で考えるとわかりやすい。
自然発生的な愛国心というのもあるだろう。
しかし、権力者が愛国心をもたせるため、外に対する敵対心を持たせることで国をまとめようとすることはよくある。9.11後のショックドクトリンのように。

内と外の境界は絶対ではないということを知る必要がある。 
それが鈴木亮平一が最後に言っていた「線を引き直したり、線を増やしたりする」ということで、線は常に任意の線であるということだ。

共感力を内側、自分(たち)だけに発揮するのでなく、それ以外にも発揮する、自分たちと他人たちは同じだということを知る必要がある。

それには、任意でありつつも自分をしっかり設定し、自立していなければならない。
少なくとも 他人に線を引かせてはならない。
改変可能な線を自分で引けるように努力する必要がある。かなり大変なことだろうが。

本間真二郎は「自他の統合が人間の成長」と言っており、私が考える弁証法的成長とほぼ同じだ。 

線をつまり共感力を大きく広げていけるようになれば、自分が大きくなっていっているということだ。

いい線の引き方を目指したい。